企業情報

  • このリンクをシェア
  • ツイート

1990年代のあゆみ

「選ばれる企業」への再構築

この10年の日本経済・社会は、バブル崩壊に始まり、規制緩和、地球環境問題、IT時代の到来、生活者の権利確保などが絡み合い、まさに世紀末の混沌とした時代であった。
このような状況の中で、九州電力はこれらの問題に対処するため、経営の効率化や組織改正、電源多様化、情報公開などに積極的に取り組んだ。
21世紀に向けて九州電力が「地域とお客さまに選ばれる企業」になるための再構築の時代であった。

時代背景

平成不況とグローバルスタンダード

バブル経済は建設や証券の不振を契機に終焉し、1991年には株価や地価が下落を始めた。銀行は巨額の不良債権を抱え、証券会社は株価の暴落で顧客に莫大な損失を発生させた。大手金融機関は破綻と再編を繰り返して淘汰が進んだ。バブル崩壊による消費低迷は物価下落で企業収益を悪化させ、失業率の上昇や所得減少をもたらし、平成不況は回復の見込みなく長期化した。
一方、世界に目を向けると、1991年にソビエト連邦が崩壊し、東西冷戦が終結した。また、1993年11月には欧州15か国が加盟して欧州連合(EU)が誕生し、2000年月には単一通貨・ユーロの流通も始まった。経済再生を掲げて輸出主導型戦略を進める米国、改革開放による高度経済成長の大号令で社会主義市場経済体制に移行した中国、さらにはアジアや中南米の諸国でも経済の安定化が進み、世界は垣根のないグローバルスタンダードの時代に入った。

規制緩和と電力自由化

日本国内でも規制に保護された企業の経営スタイルが経済成長と国際競争力の足かせになっていたことから、企業経営の大変革が巻き起こった。金融ビッグバンや会計ビッグバンに代表される規制緩和や変革は、貿易赤字や市場参入の障壁を抱えていた米国の圧力も加わり、1995年の規制緩和か年計画では、金融・エネルギー・通信など11分野1091項目にも及んだ。
また、電力業界の規制緩和では、1995年月の電気事業法改正によって、発電市場への競争導入、特定電気事業制度の導入などが実施された。1999年には受電電圧ボルト・契約電力2000kW以上の大口のお客さまを対象とした電力小売市場の部分自由化が決定し、原則として自由化範囲の参入自由、料金規制もなくなることとなった。

地球環境問題の顕在化

地球温暖化の防止

地球温暖化問題を解決するために、199712月に京都で開かれた気候変動枠組条約の第回締約国会議(COP3)で、先進各国の温室効果ガスの具体的な削減目標などが盛り込まれた京都議定書が採択された。
京都議定書で日本はCO2などの温室効果ガスを2008年~2012年の年間で1990年と比べて%削減することを公約したことを受け、1999年に地球温暖化対策推進法が施行された。これにより国・自治体・事業者および国民の責務が明確化され、温室効果ガス排出量の多い事業者は抑制計画の自主策定に努めるよう求められることとなった。

環境経営の推進

九州電力では、環境保全を経営の重要課題のひとつと位置づけ、1992年には環境に配慮した事業活動の具体的計画として環境アクションプランを策定した。環境アクションプランでは、地球温暖化防止や地域環境との共生、省資源・リサイクルの推進などについて積極的に取り組み、1996年からはそれらの活動をまとめた「環境アクションレポート」を作成し公表した。
また、2001年には九州電力環境憲章を制定し、環境活動の心構えや方向性を示すとともに、環境顧問会の設置や環境会計の導入などに取り組み、企業の成長と環境を両立させる環境経営を推進した。

新エネルギー等の開発・導入と環境技術開発

地球温暖化防止については、新エネルギーなどの開発・導入にも取り組んだ。1998年度から鹿児島県野間岬において風力発電の実証実験を実施し、太陽光発電でもコストや供給安定性の検討を重ねた。
また、お客さまが設置している太陽光発電や風力発電からの余剰電力購入は、2000年度末時点で約7700件、約3000kWとなった。
環境にやさしい電気自動車の普及に向けた技術開発にも積極的に取り組んだ。1991年には中部電力などと共同で省エネルギー型の高性能電気スクーターを開発し、1992年には電動ごみ収集車を開発した。また、1994年にはアベニール電気自動車を開発し、社内事業所に22台を導入した。さらに、1998年には既存の実用化鉛電池の倍の蓄電能力をもつ高性能リチウム電池の試作に成功した。

増大する電力需要とベストミックスの実現

電力需要の推移と電源多様化

バブル崩壊後の景気低迷にもかかわらず、九州電力における電力需要は堅調な伸びを示し、1991年~2000年度の10年間で最大電力は310kW、販売電力量は195kWh増加し、年平均伸び率は最大電力で2.3%、販売電力量で3.0%となった。
一方で電力供給をめぐる環境は、国際石油需給の逼迫化、電源立地の困難性増大などによって制約要因が大きくなっていた。九州電力ではこうしたなかでも安定供給とコストの低減を図るため、地域社会との協調を図りつつ、原子力を中核として大型揚水・石炭火力・LNG火力・地熱などの石油代替電源の開発を行い、電源の多様化を推進した。
原子力では、1994年月に玄海原子力発電所号機(118kW)、1997年月に同4号機(118kW)の運転を開始した。火力では、1995年12月に海外炭を燃料とする大容量の苓北発電所号機(70kW)が運転を開始し、LNG火力では、新大分発電所で合計172kWの電源を開発した。地熱では山川発電所(kW)、大霧発電所(kW)、滝上発電所(2.5kW)がそれぞれ1994、1995、1996年度に運転を開始した。これらによって、総開発量は約500kWとなった。
このように電源多様化を推進した結果、2000年度の総発電電力量に占める各電源の割合は、原子力が1990年度の33%から46%へと上昇する一方、石油火力等は21%から6%へと低下し、石炭20%・水力%・LNG19%などとなり、エネルギーのベストミックスを実現した。

電力輸送設備の強化

この10年間で電力輸送設備については、電力需要の増大や電源開発に対応して拡充・強化を図った。1993年、玄海原子力号機の電力輸送対策として、50ボルト玄海幹線を新設し西九州変電所に連系した。また、電源が集中する西部地区から福岡方面への潮流増大に対応して、1996年、脊振変電所を新設し、既設玄海幹線を引き込むとともに、22ボルト西福岡線の一部を脊振幹線として50ボルトに昇圧した。これによって西九州変電所から中央変電所間の50ボルト送電線路がルート化され、大電力の安定供給が可能となった。

新しい料金制度と経営効率化の推進

料金改定と新しい料金制度の導入

1995年の電気事業法改正により、経営効率化を促すインセンティブ規制として「国のヤードスティック査定による料金規制」と「電力会社自身による経営効率化計画の策定・定期的評価制度」が設けられた。
また、為替レート変動などの経済情勢変化を迅速に反映する料金制度として、「燃料費調整制度」が導入された。
1999年の電気事業法改正では、電力小売り市場の部分自由化とともに、部分自由化導入による効率化の成果をすべてのお客さまに行き渡らせる観点から、料金規制手続きの合理化、情報公開の充実、料金メニューの多様化などを柱とする新たな料金制度が導入された。
こうした法改正による新しい料金制度のもと、電気料金については、1996年月、1998年月、2000年10月にそれぞれ平均%台の料金値下げを実施した。また、急速な円高が進行した1993年~1995年には度の暫定値下げをおこなった。

経営効率化の推進

長引く不況や円高による原油価格の下落、新規電源の運転開始にともなう設備投資の増加、料金値下げなど内外の変革の波を受け、新たな競争の時代にいち早く対応するために1995年月に経営効率推進本部を設置し、本格的な経営効率化に取り組んだ。
同年10月には、料金改定申請に合わせて「設備投資の効率化・負荷平準化・設備保全(修繕費)の効率化・燃料費の削減・諸経費の削減・業務運営の効率化」という項目にわたる具体的な効率化策を織り込んだ経営効率化計画を策定し、これ以降、毎年度末に項目の効率化状況を検証し翌年度の効率化努力目標を内容とする経営効率化計画を公表した。
本店スリム化については、1995年度から1998年度の年間の取り組みにより約%の効率化を達成した。
また、1997年月には効率化の重点目標である負荷平準化対策の強化に向け営業部から分離独立する形でエネルギー利用効率部を発足させ、料金政策と負荷平準化策の両面で集中的に効率化の推進を図った。
1998年と2000年の料金改定時にも経営効率化計画を策定し、特に電力小売部分自由化後初となった2000年の経営効率化計画では、電気料金情報公開ガイドラインの趣旨をふまえ、九州電力の経営目標や経営効率化をはじめとする経営課題への取り組み状況を分かりやすく掲載し、お客さまの理解をより一層深めることに努めた。

社内IT化の取り組み

1995年のマイクロソフト社Windows95の登場を契機としてパソコンの性能・操作性の飛躍的な向上とインターネットの急速な普及が始まり、IT環境が劇的に進化を遂げた。
九州電力では、1998年度には全社6000台のパソコンのネットワーク化、1999年度にはオフィス業務支援システムを全社に導入、2000年度には社員一人台のパソコン配備とグループ企業間の情報ネットワークの構築を完了した。
また、進展著しいITの動向を勘案した「情報システム将来ビジョン」を2000年月に策定し、その具現化に向け最先端のITを活用した業務改革の推進に取りかかった。

情報公開と地域との協調

お客さまの立場に立った情報公開の推進

製造物責任法(PL法)や情報公開法の整備など生活者の権利を守るための社会的要請が高まるなか、九州電力が今後ともお客さまに選ばれる企業であり続けるために、お客さまの立場に立った積極的な情報公開を推進した。1997月にはホームページを開設し、IR情報や原子力発電所の運転状況、記者発表資料などの情報を幅広くタイムリーに提供、九州電力の事業活動への理解促進を目指した。

原子力PAの推進

原子力をめぐっては、1995年12月に高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)で二次系ナトリウム漏洩事故が発生、さらに1999年月にはジェー・シー・オー(茨城県東海村)のウラン加工施設においてわが国で初めての臨界事故が発生し、人の作業員が死亡するなど国民の原子力に対する信頼を損なう事態が発生した。
九州電力では情報公開の推進による信頼感、安心感の向上に努め、原子力開発の必要性についての理解を深めるため、支店広報課への技術系管理職の配置や「原子力PAリーダー制度」を制定するなど原子力PA体制の強化を行い、さまざまな研修の機会を通じて社員一人ひとりの原子力PAに対する意識の高揚と知識の向上を図った。
お客さまに対しては見学会やパンフレットの配布などで日常的に情報公開を推進したほか、玄海原子力発電所展示館を原子力PAの新たな拠点としてリニューアルし、2000年月に「玄海エネルギーパーク」としてオープンした。

地域・文化活動への支援とお客さまとのコミュニケーション

九州電力では、従来から幅広い地域貢献活動に取り組んできたが、地域社会の一員として果たすべき役割がより一層高まったことから、1993年に「地域・文化活動委員会」を設置し、「地域文化への支援」「地域のスポーツ活動の支援」「ボランティア活動の充実」の三つを柱とした社会貢献活動を、積極的に推進することとした。
お客さまとのコミュニケーション拠点およびニューライフの情報発信拠点として、平成元年度から設置を始めていたコミュニティプラザ・イリスを1993年10月には北九州、1995年月には長崎、2000年月には大分の各支店にも設置した。従来の福岡、佐賀、宮崎、鹿児島でも定期講座やイベントなどを積極的に行い、累計利用者数は2001年月までに780万人を超えた。