(1)需給構造正常化に貢献
九州電力川内原子力発電所1号機が8月に再稼働した。11月の2号機営業運転移行により、新規制基準適合性審査の申請以来、2年以上続いた川内原子力の再稼働プロセスが終了。同社の収支改善のほか、東日本大震災以降、火力に大きく依存してきた日本の需給構造が正常化に向かうこととなった。ここでは、川内原子力が再稼働するまでの道のりを、須藤礼・川内原子力発電所長のインタビューとともに振り返る。
(2)再稼働までの経緯
◆大きな拍手湧く並列完了
九州電力は川内原子力発電所1、2号機について、2013年7月8日に新規制基準適合性審査を申請した。それから約8カ月後の14年3月13日、原子力規制委員会は、新規制基準に大枠で適合したことを示す「審査書案」の作成に移るプラントに、川内原子力を選んだ。原子力規制庁の審査官を審査書案の作成作業に重点的に充てるとともに、残る工事計画などの審査も優先して進められることとなった。
審査書案の作成に移る条件は、(1)基準地震動(Ss)の確定(2)想定津波高(基準津波)の確定(3)他に審査上の重大な問題がないこと――の3点。九州電力は、北海道留萌支庁南部地震の評価結果を反映した最大620ガルを川内1、2号機のSsに追加した。基準津波は南西諸島海溝のマグニチュード9.1の地震に伴う津波を波源に設定し、取水口位置で5メートル強まで引き上げた。地震・津波の審査会合では九州電力の方針に異論が出ず、妥当と判断された。
その後、国は、審査書案の了承やパブリックコメントなどを経て、14年9月10日に審査書を正式に決定し、設置変更許可(基本設計)。一方で新規制基準に適合するには設置変更許可に加え、工事計画変更認可(詳細設計)、保安規定変更認可(運転管理・体制)という3種類の許認可を受ける必要があった。
最も苦労したのが工事計画認可(工認)。補正作業では「ひな型」がない中での厳しい対応を迫られた。Ssの引き上げに伴い、耐震強度など膨大な計算・解析の必要性が生じたほか、新規制基準では津波、火山、竜巻などその他の自然現象も対象となった。結局、九州電力は1号工認の補正書を初回の一部施設での提出を含め、全てを数えると5度出した。1号の認可が下りたのは、15年3月に入ってからだった。総量も補正のたびに増え申請時の5千ページから最終的に1号機だけで3万ページにも達した。
工認認可後から間もなく、九州電力は1号機の使用前検査受検を申請し、検査は3月30日に始まった。並行して進められてきた1、2号機の運転管理体制、事故時の対応方針などを記した保安規定の変更は5月27日に認可。その約1カ月後となる7月3日には、1号の使用前検査のうち、燃料装荷前までに行う項目が終了し、再稼働への道のりも終盤を迎えた。
燃料装荷は7月10日に終了し、27日~30日までは最後の関門となる重大事故などに対する総合訓練を実施。原子力規制庁による保安検査の一環として初めて行われ、九州電力は全電源喪失事故に対応するため常時確保している1班52人の宿直体制で対応した。
世界から注目を集める中、1号の原子炉が起動されたのが8月11日。その3日後となる14日には発電が再開された。同日、現地では藤原伸彦執行役員・川内原子力発電所長(当時)はじめ運転操作を担当する社員ら50人以上が中央制御室に詰める中、午前8時57分、「ただ今から並列操作します」とのアナウンスが所内に流れ、9時ちょうどに主変遮断器のスイッチが「入」にされ、「1号機発電機並列しました」と発電課長が宣言。室内の張りつめた空気を破るように大きな拍手が湧いた。
その後、1号機は31日に定格熱出力一定運転、9月10日に国の最終検査に合格し、営業運転へ移行。2号機は10月15日に原子炉を起動、21日に発電を再開した。2号機の営業運転は11月17日。新規制基準適合性審査の申請以来、およそ2年4カ月以上続いた川内原子力の再稼働プロセスがこれで終了した。
(3)新基準移行後初の地元同意
◆安全性向上へ不断の努力
2014年9月10日の原子炉設置変更許可後、地元同意の動きが活発化した。10月28日には川内原子力発電所の再稼働について、薩摩川内市議会が臨時会を開催し、再稼働について賛成する陳情が採択された。これを受けて同日、岩切秀雄市長が「市議会が慎重かつ丁寧な審議をされたことを高く評価する」と述べ、再稼働を認める意向を表明した。
新規制基準施行による体制の下、原子力立地自治体の首長が再稼働を認めるのは初めてだった。臨時会で再稼働賛成派の議員からは「どんな科学技術にも光と影がある。事故リスクは抱えながらも、子供たちの雇用の場確保とともに受け入れられる」「安全対策に終わりはない。新たな知見が得られれば、九州電力は真摯に受け止め安全対策に反映してほしい」と現状を冷静に分析した意見が聞かれた。岩切市長は臨時会終了後の会見で「市長、市民が勉強しながら九州電力に安全運転を言い続けてきた」と強調した。
「新規制体制下で全国初」という緊張感の中での同意には難しい判断も迫られたはずだが、議員や市長の発言からは、市が九州電力とともに原子力の安全性向上に努めてきた経緯が読み取れる。そうした積み重ねに加え日本のエネルギー事業や地域経済の発展などを勘案した結果、再稼働は必要不可欠との判断に至った。
鹿児島県も再稼働の可否を審議する臨時議会を11月5~7日に開いた。最終日の本会議で再稼働を求める陳情を賛成多数で採決。間もなく伊藤祐一郎知事が同意を表明したことで、全国で初めて地元手続きが完了した。
同意表明後の会見で伊藤知事は「原子力に対しては賛成・反対、いろいろな意見をもつ人がいる。一律に賛成の立場は取りにくい」と前置きした上で「わたしの考えは、諸般の情勢を総合的に勘案すると当分の間は活用せざるを得ないというもの」と説明。同意について「大変重い判断をすることになった。身を引き締め十分に役割を果たせるようにしたい」と述べた。
また「資源の乏しい日本の産業・生活を活性化するにはどうすればよいか。安全性がある程度約束されるのであれば、しばらくの間、動かすというのがわたしの判断。淡々と決断した。鹿児島が先頭を切ることは想定してなかったが、判断には気負いもてらいもなかった」と話した。
東京電力福島第一原子力発電所事故以降、国内の原子力プラントは停止したまま。火力燃料の調達で国富が流出する事態が続いていた。薩摩川内市や鹿児島県の決断は、県や九州地方にとどまらず、国益を考える上でも、非常に意義のあるものだったといえる。
(4)所長に聞く
◆安全・安定運転へ一丸/須藤礼氏
――1、2号機が営業運転に復帰した現在の心境は。
「ほっとしていると同時に、多くの方々のご支援、ご協力に感謝の気持ちでいっぱいだ。新規制基準適合性審査の過程では国の方に連日夜遅くまでヒアリングなどの対応をして頂いた。また薩摩川内市や鹿児島県など地元の方々のご理解の下に再稼働に向けた準備を進めることができた。さらに現地で、協力会社がタイトなスケジュールの中、しっかりと工事して頂いたことなどに感謝申し上げたい。今後は緊張感を持ちながらしっかりと発電所を運転していきたい」
◇最初の審査
――再稼働への道のりを振り返って、特に困難だったことは。
「新規制基準ができて最初の審査であったことから、全社一丸となって長期間、長時間にわたり、夜遅くまで対応したことが感慨深い。当初の申請書が仕上がりの時点では5倍程度まで膨らんだ」
「使用前検査も右も左も分からない状態で始め、多くの資料を作成して説明するなど大変な作業だった」
――施工を担当した協力会社の貢献は大きかった。
「使用前検査に間に合うようにと、スケジュール的にタイトな中で、協力会社には無理をお願いした。工事に大幅な手直しが入ったりしたが、しっかりと事故なく安全に最後まで工事をして頂きありがたかった。皆さんが一丸となって取り組んで頂いたおかげだと思う」
――今後の課題、抱負について。
「まず一番大事なのは、発電所の安全・安定運転の継続。多くの方のご支援のおかげでここまで来ることができたので、信頼を裏切らないよう努めていきたい。また安全の追求に終わりはないことを肝に銘じ、特定重大事故等対処施設の設置など、さらなる安全性の向上に向けて協力会社と一体となってしっかりと対応していきたい」
「地元の皆さまに安心して頂くためにも、いま一度基本に立ち返り、これからも安全を最優先に原子力発電所の安全・安定運転に取り組んでいきたい。また今後も地元の様々な行事に参加するなど、ふれあいを大切にしていきたいと思っている」
◇共に支える
――最後に、所員へのメッセージを。
「常日頃から所員には『明るく、元気に、思いやりを持って仕事をしよう』と話している。九州電力だけで発電所が運営できているわけではない。関係会社や協力会社の皆さまと共に安全・安定運転は支えていくべきものだと思っている。思いやりを持って、相手の立場に立って、しっかりとコミュニケーションを取っていくことが大切だ」
(電気新聞2015年12月28日付7面)