◆黒川一の宮線の仮復旧/続く余震、技術力で克服
4月16日未明の本震により、大規模な土砂崩れが発生した熊本県南阿蘇村。山肌の緑が広範囲にわたってえぐり取られ、交通の要である橋も落ちた無残な光景はニュース映像として全国に流れた。
この時、九州電力の熊本変電所から一の宮・高森地区(阿蘇市、高森町、南阿蘇村)に通じる唯一の送電線が停止していた。6万6千Vの黒川一の宮線と高森分岐線。黒川横断部では鉄塔の足元が100メートル下の川底に向かって崩落。傾いた鉄塔に電線が引っ張られ、垂直であるべき懸垂碍子はほぼ水平になった。
◇運搬ルートが鍵
同日夕方には、被害が予想を上回る深刻さであることが判明。地滑りによって鉄塔の部材や基礎が損傷したり、地割れが広がったりしていた。代替ルートによる仮復旧が必要な事態だった。
熊本電力センター復旧班の一員として現地調査に入った同社電力輸送技術センター(福岡市)の井上司・送電調査グループ長は「通行止めの箇所が多く、迂回(うかい)しながら移動するので時間がかかった」と振り返る。倒壊家屋が作業車の通行の妨げになりそうな場所では、警察を通じて地権者に連絡し、がれき撤去の承認を得た。
その後、机上検討、現地測量を経て、仮復旧ルートを決定。道路が寸断されており、「資材を運搬できるか、重機が入れるかが重要ポイントだった」(亀井智彦・電力輸送技術センター送電設計グループ長)。並行して用地確保に動き、一部が通過するゴルフ場からも了解を取り付けた。
仮復旧ルートの総延長は約2.7キロメートル。仮鉄塔2基、仮鉄柱15基を建て、1回線で復旧する計画が立案された。
◇スピード重視
当初は2回線復旧を前提に、全て鉄塔とする構想もあった。「夏季の需要ピーク時に、2回線ないと送電容量的に厳しい」(亀井グループ長)からだ。
通常、鉄塔の建設には5~7メートルの基礎掘削が必要。穴の中に作業員が入る工程があるが、現地は火山地域特有のやわらかい土壌のため、強い余震が続く中では危険が大きい。簡易な基礎と四方に張る支線で固定する鉄柱ならば、その危険を避けられる。鉄柱を2回線分建てる選択肢はあったものの、最終的には「スピード重視」で1回線復旧に落ち着いた。
鉄塔2基(高さ約70~80メートル)は、黒川横断部に採用した。約750メートルという長径間の上、建物上空を通過するため、高さ30メートル程度しかない鉄柱では十分な電線の地上高を確保できないためだ。基礎は、井桁に組んだH鋼の上に鉄板を敷き詰め、重さでバランスさせる工法を取り入れ、深い掘削やコンクリート打設を不要にした。
鉄塔2基は、佐賀エリアの22万V送電線工事で使う予定で地震前に納入されていたものを流用。鉄柱は災害時の復旧用資材として常に備蓄されている。
施工を受け持ったのは九建、三桜電気工業、九南、アーチ電工、岳南建設、白鷺電気工業の6社。18日午前、搬入路工事を開始し、19日未明には本体工事が始まった。照明設備を設置して24時間態勢で施工。計4つの復旧区間で最大約600人が投入された。
◇中断余儀なく
余震に加え、21日から翌日にかけて大雨に伴う避難指示が出され、工事中断を余儀なくされた。安全確保に万全を期しながらの工事が終わり、送電線が運用を開始したのは27日午後8時。その2時間後には一の宮・高森変電所を通じて高圧配電線への送電が完了した。
九州電力が経験を蓄積している台風災害とは違い、要員の事前配備は不可能。「地震被害の早期復旧の難しさを痛感した」と萱野続浩・電力輸送技術センター送電基幹工事グループ長。一方で、自宅が被災した社員も含め、九州全域の社員が一丸となり復旧に取り組んだこと、施工会社が高い技術力を証明したことは今後に生かせる経験だったと受け止める。
黒川一の宮線と高森分岐線は、まだ仮復旧されたにすぎない。今夏の需要ピークに備え、豊前発電所のディーゼル発電機(1200キロワット)を一の宮変電所隣接地に移設した。9月には本格復旧に着手し、2017年夏までに完了させる方針だ。(特別取材班)
(電気新聞2016年6月16日付1面)