エネコミ

2017年1月配信

2016年 6月20日
[連帯 熊本地震・電力復旧の闘い](4)

◆関電、燃料仮貯蔵所を設営/輸送効率化 訓練生きる

 「グループを挙げて、できる限り支援する」――。4月16日の午後6時30分に九州電力の要請を受けた関西電力は八木誠社長の号令の下、翌17日早朝に応援派遣第1陣を送り出した。先発隊は陸路15時間で熊本に向かったが、その状況報告も踏まえて、第2陣では瀬戸内海を渡るフェリーを活用。移動に伴う疲労や交通事故などのリスクを避け、現地で最大の力を発揮するためだ。
 当初依頼されたのは主に鉄塔倒壊の影響を受けた一の宮地区(阿蘇市)での高圧発電機車による応急送電だった。ただ、九州では関西よりも径が太いアルミの高圧線が採用されている。関電大阪南電力部大阪南ネットワークエンジニアリングセンター(NWEC)の水津健也主任は、「九電工に補足線を出す工事をお願いし、そこに直営でケーブルをつないだ」と振り返る。

 ◇延べ218人派遣
 水津主任は一の宮地区に九州電力が設けた前線基地に詰め、九州電力や6カ所に分散する関電の各拠点との連絡・調整にも当たった。「安定して電気を送れる状況を保つ」のが最重要課題。過負荷により他社の発電機車が停止した際には、負荷容量に余裕がある拠点から車両と人員を振り向けた。
 不測の事態にも協力を惜しまない各拠点責任者の姿勢。水津主任はそこに「自分がやらなあかん」という自社エリアと変わらぬ使命感を見た。
 関電の応援派遣は近畿各府県の8電力部・25事業所合わせて延べ218人に上る。各拠点ではローテーションを組み、順次交代要員を派遣。大阪南では第4陣まで現地投入したが、「次の第5陣も体制を決めて用意していた」という。
 自身も阪神・淡路大震災当時の復旧対応を経験しているが、関電として整備した復旧対応マニュアルは東日本大震災の教訓も踏まえて改善されている。ただ、一連の流れるような対応は「日頃やってきたことがうまく機能した結果」と話す。

 ◇給油ネックに
 一方、電力他社も含めた応援派遣が充実していく中で顕在化した課題もあった。「燃料の供給が追い付かない」――。関電総務室の玉村典正・防災グループマネジャー(GM)の下へ九州電力から緊迫した要請が届いたのは、20日の正午頃だった。
 発電機車の燃料である軽油の物量は十分確保されていたものの、各拠点への輸送手段がボトルネックとなった。ローリー車は容量が大きいが「台数には限りがあり、給油時間に拘束される」(玉村GM)。500キロワットの発電機車なら1時間に約150リットル、ドラム缶3分の2本相当を消費する。最終的に各社合計で150台を超えた発電機車を賄う燃料を供給し続けるのは至難の業だ。

 ◇顔見える関係
 関電に要請されたのは燃料の中継点となる「仮設貯蔵設備」の設営。危険物であるガソリンや軽油の取り扱いには消防法の規制があるが、2012年に災害時の例外的な対応に関するガイドラインが定められていた。仮貯蔵といっても離隔や漏油・静電気対策など、安全に配慮した資機材の設営には一定の手順とノウハウがいる。
 玉村GMは「南海トラフ地震に備え、エリア内の消防機関と事前協議を行っていた」と背景を話す。その結果を基に昨年11月には大阪で設営訓練を実施。九州電力の防災担当者も視察に訪れており、「顔の見える関係」があったことが、今回の連携につながった。
 熊本では関電グループの近貨(大阪市、杉木陽三社長)の作業員が拠点近くのテニスコートに仮貯蔵所を設置し、最大178本のドラム缶を収容。トラックによる輸送が可能となり、燃料供給が効率化された。急な要請に雨中の作業だったが、九州電力は食事と宿を手配して玉村GMらを迎えた。
 大阪南NWECで調整に当たった愛原基弘主任は「今回、貴重な経験をさせてもらった。それをどう生かせるかが我々の課題」と指摘。今後の自社の災害対応にも磨きをかける構えだ。(特別取材班)

(電気新聞2016年6月20日付1面)