舞鶴荘
舞鶴荘屋外スペース貸出し
舞鶴荘ば使ってみらんね
地域の皆さまからの「舞鶴荘を活用しながら残して欲しい」「地域に親しまれるスペースにして欲しい」とのお声を多くいただいております。そこで、舞鶴荘を活用し、「地域の皆さまの交流の場」とする活動として、舞鶴荘の屋外スペースを、無料貸出しする取組みをおこなっています。
舞鶴荘のご紹介
舞鶴荘の歴史
近代和風建築の舞鶴荘
舞鶴荘(旧高取家住宅南邸)は、杵島炭鉱主であり、隣接する重要文化財「旧高取邸」を邸宅としていた高取伊好(これよし)氏が娘婿「盛(さかえ)」夫婦のために大正後期に建てたもので、重厚な唐破風(からはふ)の車寄せなど、純和風の意匠と洋館(現在は基礎跡のみ)を併せ持った近代和風建築です。
屋根の造りは、東側は入母屋造りとなっており、天井が高く迎賓の場として利用され、西側は寄棟造りで住居利用であったと考えられています。
また、広大な敷地(約6,100㎡)の中にある庭園は、松を多く配置した池泉(ちせん)廻遊式となっており、この庭は周辺を高い松に囲まれ東上方に唐津城(舞鶴城)をぽっかりと浮かべています。あの城を舞鶴城と詠んだ往時の人々の思いを居ながらにして感じることができる空間です。
屋根の造りは、東側は入母屋造りとなっており、天井が高く迎賓の場として利用され、西側は寄棟造りで住居利用であったと考えられています。
また、広大な敷地(約6,100㎡)の中にある庭園は、松を多く配置した池泉(ちせん)廻遊式となっており、この庭は周辺を高い松に囲まれ東上方に唐津城(舞鶴城)をぽっかりと浮かべています。あの城を舞鶴城と詠んだ往時の人々の思いを居ながらにして感じることができる空間です。
舞鶴荘ゆかりの人々
舞鶴荘に住んでいた高取盛氏は、大正9年に高取伊好氏の跡を継ぎ高取礦業株式会社(後の杵島炭鉱株式会社)の社⾧となり、昭和20年に辞任するまで、杵島炭鉱を県下随一の炭鉱に発展させた人物です。大正11年には、世界平和会議に日本全権団の一員として渡欧し、得意の語学と経済知識で活躍しました。
また、漢詩や弓道にも熱心に取り組まれており、漢詩では、伊好氏の偉業を称える詩などを収録した「西渓遺稿」という漢詩を高取九郎氏(伊好氏跡継ぎ)と作成しています。
弓道では、佐賀県弓道連盟の立ち上げから携わり、初代会⾧として佐賀県弓道界に大きな功績を残しています。毎年度初めに開催される、佐賀県高等学校弓道春季大会(佐賀県弓道連盟主催)は「高取杯」の名を冠しており、今もその功績を伝えています。
また、漢詩や弓道にも熱心に取り組まれており、漢詩では、伊好氏の偉業を称える詩などを収録した「西渓遺稿」という漢詩を高取九郎氏(伊好氏跡継ぎ)と作成しています。
弓道では、佐賀県弓道連盟の立ち上げから携わり、初代会⾧として佐賀県弓道界に大きな功績を残しています。毎年度初めに開催される、佐賀県高等学校弓道春季大会(佐賀県弓道連盟主催)は「高取杯」の名を冠しており、今もその功績を伝えています。
舞鶴荘の沿革
1922年(大正11年)頃
高取邸の南邸として、施主の伊好氏が婿夫婦のために新築
1962年(昭和37年)
九州電力株式会社が保養所「舞鶴荘」として活用
2014年(平成26年)
閉館
現在
地域のみなさまからのお声をもとに、舞鶴荘を活用した取組みを検討中
舞鶴荘 庭園
舞鶴荘庭園の見学について
2023年10月に庭園の整備を実施しました。イベント開催時には、園内を散策していただけます。
舞鶴荘 建屋内(原則、現在は立入り出来ません。)
場所
〒847-0015 唐津市北城内6-29(旧高取邸南側)
- JR唐津駅下車タクシーで5分
- JR唐津駅下車徒歩15分
- 唐津大手口バスセンター下車徒歩10分