平助筆復古堂(1)
2015年5月7日
-日本で最も歴史の古い筆専門店-
このコーナーでは、九州を舞台に様々な分野で活躍している人や団体、企業をシリーズ企画でご紹介しています。
今回ご紹介するのは、日本で最も歴史の古い筆専門店・平助筆復古堂(福岡市)です。

臨済宗の本山・東福寺(京都)に納められたものと同じ筆とともに(左/10代目・河原田明さん 右/11代目・河原田浩さん)


明治40年頃の河原田別邸(福岡市・春吉)
平助筆復古堂のはじまりは、なんと今から500年以上も前。昔、博多で製造されていた「筑紫筆」の製筆工だった河原田五郎兵衛が、室町時代後期の文亀元年(1501年)に創業しました。
五郎兵衛は、筑紫筆の名匠として当時でもその名は広く知れ渡っていました。
五郎兵衛の優れた製筆技術は代々河原田家に継がれ、豊臣秀吉や小早川秀秋にも献上されるほどの逸品として、洗練されていきました。
その後、天明年間(1780年代)に4代目当主・平助が、ときの福岡藩主・黒田斉隆から「復古堂」の商号を与えられ、今に至っています。
筑紫筆の確かな技術と品質を500年以上受継いできた平助筆復古堂。筑紫筆ではない「平助筆」という名は、いつ、どのようにして誕生したのでしょうか。

平助復古堂の歴史を話す、10代目・河原田明社長
「明治から大正の頃、筑紫筆の粗悪品が出回るようになりました。そこで、当時の8代目・9代目当主が、河原田家で代々襲名していた"平助"の名を取って、自社の商品に"平助筆"の文字と自分の顔写真が入ったラベルをつけた筆を販売したんです。 それが、今もブランドネームとして残る"平助筆"の誕生です」
と、10代目で代表取締役社長の河原田明さんは言います。

当時としては画期的だったオリジナルラベル
写真技術が日本に広まって日の浅い明治時代、オリジナルラベルで他商品との差別化を図りながら、ブランドの構築を実現した8代目・9代目は、先見の明を持つアイデア商人だったようです。
以来、屋号を「平助筆復古堂」と改め、品質の確かな筆専門店として不動の地位を確立しました。

次回は、筑紫筆と平助筆についてご紹介します。